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東京地方裁判所 平成2年(ワ)10383号 判決 1991年8月28日

原告

牧田栄子

右訴訟代理人弁護士

榎本峰夫

被告

高橋貞良

右訴訟代理人弁護士

増田英男

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一五〇〇万円及びこれに対する平成二年三月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、平成二年三月一〇日、東京都大田区<番地略>の被告方前路上を友人と歩行中、被告の依頼で梯子に乗り、被告方居宅の外壁のペンキ塗り(以下「本件作業」という。)を行っていた訴外榎本三男(当時七八年、以下「榎本」という。)が梯子とともに転倒して原告の頭上に落下したため、原告は路上に転倒し、そのために全治不詳の左肩骨折、大腿骨骨折の傷害を負い、歩行不能となった(以下「本件事故」という。)。

2  被告の責任

(一) 榎本は、定住場所もなく、木賃宿等に泊まって生活し、本件事故当日、飛び込みで被告の依頼を受け、本件作業に従事していたものであるが、年齢も七八年と高齢であり、同人には安全に仕事を処理するだけの能力、設備もなかった。

(二) 一般に本件作業のような仕事を第三者に行わせるには、それなりの技術、設備を備えた者に依頼するか、設備や能力のないものに頼んだりする場合においては、依頼者において、通行人の通行を止める等して第三者に損害を与えないように十分に注意、監督する注意義務が認められるところ、被告は、これを怠り、榎本という本件作業を安全に仕事を処理するだけの能力、設備もない者に依頼しながら、第三者に損害を与えないように十分に注意、監督する注意義務を怠り、通行人である原告に傷害を与えたのであるから、被告は民法七〇九条により原告の被った損害を賠償すべき義務があるというべきである。

(三) 民法七一六条には、注文者に注文又は指図に過失があるときは、請負人が加えた損害についても責任を負うとされており、注文又は指図に過失があるという場合の中には、加害を防止すべき措置を指示すべきなのにそれを怠ったという不作為も含まれるとされている。

これを本件についてみるに、本件作業を行っていた榎本は七八年と高齢であり、十分な設備等のないものであるから、仮に作業を頼むとしても、注文者である被告は、道路を通行する人に損害を与えないように指示し、安全を確保すべき措置を講ずべきであるのにこれを怠ったのであるから、民法七一六条にいう注文者に注文又は指図に過失がある場合に当たるというべきである。

3  損害

原告は、昭和五年九月二日生まれの主婦であるが、本件事故により全治不詳の左肩骨折、大腿骨骨折の傷害を負い、歩行不能となったのであるから、少なくとも次のとおりの損害を被っている。

(一) 逸失利益 一六四〇万一六六三円

大腿骨骨折による歩行不能 一〇〇パーセントの労働能力喪失

労働能力喪失 八年

右に対応するライプニッツ係数6.4632

女子全年齢平均年収 二五三万七七〇〇円

253万7700円×6.4632=1640万1663円

(二) 後遺症慰謝料 二二〇〇万円

(三) 入院慰謝料(五ヵ月分) 一七九万円

よって、原告は、被告に対し、不法行為損害賠償請求権に基づき被告に対して有する四〇一九万一六六三円の内金一五〇〇万円とこれに対する本件事故の翌日である平成二年三月一一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1のうち、榎本が原告の頭上に落下したことは否認し、榎本が梯子に乗っていたこと及び原告が負った負傷の内容及びその結果については不知、その余は認める。

2  同2(一)のうち、榎本に安全に仕事を処理するだけの能力、設備もなかったとの事実は否認し、榎本の生活状況は不知、その余は認める。

なお、榎本は、外見からはおよそその年齢を判断できぬほどに元気であり、各家庭を訪問してはその依頼を受けてペンキ塗りの作業をしてきたのであって、本件のごとき簡易な作業を行う能力は十分に持ち合わせていたものである。

3  同2(二)及び(三)はいずれも争う。

4  同3は争う。

なお、原告は本件事故以前に脳血栓を患い、その結果、重度の身体障害者となっていたものであって、その労働能力喪失は本件事故とは無関係であるというべきである。

第三  証拠<省略>

理由

一本件事故に至る経緯及びその態様等について、まず判断する。

1  原告が平成二年三月一〇日、東京都大田区<番地略>の被告方前路上を友人と歩行中に被告の依頼で被告方居宅の外壁のペンキ塗り作業を行っていた榎本が梯子とともに転倒したため、原告は路上に転倒したこと、榎本が本件事故当日、飛び込みで被告の依頼を受け、本件作業に従事していたものであること及び榎本の年齢が七八年と高齢であることは、当事者間に争いがない。

2  右当事者間に争いがない事実に、<書証番号略>、証人榎本三男、証人近藤たま子(但し、後記措信しがたい部分を除く。)及び証人高橋サダの各証言並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができ、証人近藤たま子の証言中、右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  榎本は、昭和二四年ころからペンキ塗りの仕事をするようになり、昭和四〇年ころから昭和五一年ころまでは東京都内で店舗を構え、従業員を雇い入れる等して稼働していたが、昭和五一年ころには仕事を止め、一旦故郷である九州に帰った。同人は昭和五五年ころ、再び上京し、大井の簡易旅館等に寝泊まりして、主に東京都太田区内の家を訪問し、ペンキの塗り替えの必要を指摘する等してペンキの塗り替えを勧めて注文をとり、月に一五件くらい仕事をして、平均すると月一二万から一三万円の収入を上げて生活していた。

榎本は、本件事故当時には一人で仕事をしていたこともあって、作業量の多い仕事や足場を組まなければならないような仕事は請け負ってはいなかった。

榎本は、本件事故当時、年齢が七八年と高齢であったが、耳が遠い他は健康で、本訴で証人として出頭した際も終始立ったまま証言する等その年齢を感じさせない程に元気であった。

(二)  榎本は、本件事故当日である平成二年三月一〇日午前八時ころ、ペンキの付着した作業着と帽子を着用して被告方を訪問し、応対に出た被告の妻である高橋サダに対し、被告方居宅の別紙図面の①ないし③庇について、「ペンキの塗り替えの時期にきていますがどうですか。」とペンキの塗り替えを勧めた。高橋サダは、被告に相談のうえ、榎本の風体に同情したこともあって、同人に庇のペンキの塗り替えを手間賃一万二〇〇〇円で請け負わせた。その際、被告または高橋サダにおいて、榎本に作業方法等について特別の指示等をしたことはない。

榎本は、一旦寄宿先にアルミニュウム製の梯子とペンキ、刷毛等の道具を取りに戻り、被告方のブロック塀越しに梯子を掛けて、別紙図面の①、②、③の順で庇の錆と埃をとってペンキを塗っていった。

(三)  榎本は、当日午前一〇時ころには、別紙図面の③の庇までペンキの塗り替え作業を終え、作業内容を確認しようと被告方のブロック塀の東北角から約二メートル南側の部分に掛けた梯子を登ろうとした際に足を滑らせ、梯子から転落し、梯子も榎本に引っ張られたために被告方東側の道路に倒れた。

原告は、友人の近藤たま子と被告方東側道路を北方から南方に向けて歩いていたが、折から梯子から転落した榎本と衝突し、右道路上に転倒し、加療八ヵ月間を要する左上腕骨骨折、左大腿骨頚部骨折の傷害を負った。

二そこで、右認定事実を前提に、被告の責任について検討する。

1  本件作業についての被告と榎本の契約は、請負契約と認められるところ、請負契約においては、請負契約は、その仕事の完成に主眼があり、雇用関係と異なり請負人は注文者に対して独立の地位にあることから、民法においては、注文者は原則として請負人の不法行為について責任を負わないが、注文または指図について注文者に過失があるときは責任を負うとされている(民法七一六条)。原告は民法七一六条の外、民法七〇九条を根拠法条として被告に本件事故について不法行為責任がある旨主張するのであるが、民法七一六条の規定の趣旨等に照らして鑑みると、注文者である被告が本件事故について不法行為責任があると認めるためには、少なくとも、被告において本件事故という結果発生の可能性が予見でき、被告において、適切な指図をした場合においては、その結果を回避できたという事情にあったことが必要であると解するのが相当である。

2 これを本件についてみるに、前記認定事実に照らして考えると、本件作業は別紙図面①ないし③の庇の錆と埃をとってペンキを塗るというものであって、また、別紙図面①ないし③の庇は、被告方ブロック塀に梯子を掛ければ容易に届く位置にあり、その作業は素人においても実施できるような比較的容易な作業と認められ、現に榎本はその作業に一時間を要せず、当日午前一〇時ころには何らの支障なく、本件作業を終えた事実が認められる。榎本は、ペンキの付着した作業着と帽子を着用して被告方を訪問して、ペンキの塗り替えを勧め、本件作業を請け負ったものであって、被告において、比較的容易な作業と認められる本件作業を榎本において実施できると判断したことは、十分理解できるところである。加えて、本件事故は、榎本が本件作業の仕上がりを点検するために梯子に登った際に梯子から足を滑らしたという偶発的出来事に起因して発生しており、被告において、これを事前に予見することは困難であったというほかないし、これを回避すべき適切な指示があったとは認めがたい。

この点について、原告においては、榎本が七八年と高齢であったうえ、安全に仕事を処理するだけの能力、設備もなかったと主張するが、先にも認定したとおり、同人は耳こそ遠い他は健康で、本訴で証人として出頭した際もその年令を感じさせない程に元気であり、また、本件作業が梯子と刷毛等があれば容易に遂行出来る比較的容易な作業と認められるから、原告の右主張によっても先の判断を左右することはできないというほかない。

結局、本件事故においては、被告において、本件事故を予見し、これを回避する可能性があったとは認め難いから、民法七〇九条、七一六条のいずれを前提にしても被告の不法行為責任を首肯しえないというべきである。

三結論

以上の次第であるから、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官深見敏正)

別紙図面<省略>

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